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参加者の声(ボランティア)  ·  2012/06/04

◇ ひとさじの会の感想(文:慶応大学 S.A)

炊き出しという言葉の意味もよく知らずに、参加を決めてしまったので、行く直前にその活動内容を知った時は不安に思った。

 

その時まで、ホームレスの人にはあまり良くない印象を持っていた。

 

彼らが貧しいのは、働かない彼ら自身のせい。真面目に生きていればまずそうはならないのだろうから、仕方ない事だと思っていた。

 

周りの大人からも、そういう人達と関わってはいけないと教えられてきた。また、このような尊大な考えで、彼らの傷ついた心に触れようとするのは失礼にあたるような気もしたからだ。

 

実際に巡回に行く前に、どのようにホームレスの人に接するかについて、いくつか注意を受けた。

 

事務局長さんは、とても清廉な感じのする人だった。

 

彼の言葉は明瞭で、慈しみにあふれている。彼のお話を聞いているうちに、ひとさじの会の方の温かい気持ちが私にも移入してきて、自分にも彼らと同じことが出来るような気がしてきた。

 

目が覚めるようなお話の後では、「今までの自分の考えは間違えだったかもしれない」と考えるようになった。

 

お祈りと読経の時は少し怖いと思った。今までに、お葬式以外で宗教の儀式に触れた経験はなかった。

 

部屋の明かりが消え、阿弥陀如来像だけが照らされて、皆が正座をして祈る、という様子は奇妙であり、そわそわした。

 

今の私は、家族や友達との繋がりを支えにして生きている。もし、私が仏教を心の拠り所にしたら、自分でも知らぬ間に彼らから離れていくのだろうか、と想像すると怖かった。

 

こうした恐怖は、仏教に関する正しい知識がないため起こるのだとも思う。だが、日本人が宗教に近寄らない理由として、そうした未知の存在への恐怖が、確かにあると思う。

 

のめり込みやすい人にとっては、心の奥深くまで入り込んでくる宗教は、今までの自分を揺るがすほどの大きな力であり、一度踏み入れたら戻ってこられない世界のように思える。日本人は、周囲と同じ場所にいる事を望む傾向があるためだろう。

 

お祈りが済んでから、おにぎりを配りに行った。私たち大学生が加わったこともあって、その日は人数が多かった。

 

私たちはよくわからず、みんなで一人のおじさんの所にかけつけてしまったが、彼らが不安に思うので大勢で囲むのはよくないと教えていただいた。

 

確かに、彼らの中には、話しかけられて少し困惑しているように見える人もいた。私たちが知らない人をいぶかしむのと同じことである。

 

ホームレスのおじさんは、彼らなりに、身なりをこぎれいに整えていたので驚いた。髭がモジャモジャに生えて、ぼろぼろの服をまとっているものとばかり思っていた。普通のおじさんとあまり変わらないと思った。

 

私はなぜ、わざわざ夜遅く炊き出しを行うのか、不思議に思っていたが、この時その理由がわかった。

 

昼間は賑やかな仲見世通りも、夜の住人は彼らだけだった。このように、立ち並ぶ店のシャッターが下りて、辺りが暗くなるまで、彼らの行き場はない。昼間はふらふらとさまよって時間を潰さねばならないのか、と思うと悲しくなった。

 

「店先の就寝禁止」という文字も多く見られた。スカイツリーが出来て追い出しが進み、約100人いたホームレスは30人程に減ってしまったという。

 

確かに、追い出すのは、正規の住民の権利を考えれば当たり前かもしれないが、道徳的には当たり前でないかもしれない。

 

彼らはどこに行くのだろう。そんな事は知ったことではないのだろうか?と悲しく思った。

 

ホームレスの人々は、感じのいい方たちで、意外にも礼儀正しい。行く前まで、彼らは物だけが目当てで、食料をかすめ取られるかもしれない、と思っていた自分が恥ずかしいほどだ。

 

ありがとうと言ってもらったり、気さくな笑顔を見せてもらったりした時は、心が通じたようで嬉しかった。

 

彼らは図々しい人物だろうか?確かに、中にはそういう人もいるかもしれないが、大半の人が、世間の迷惑にならないように生きているように思えた。

 

吉水さんのお話の中に、なぜ彼らが生活保護を受けられないのか、というものがあった。

 

一つには行政が住所のない彼らを締め出してしまう事があって、もう一つには彼ら自身が受けようとしない事があった。

 

自分達はこういう存在だから、社会に迷惑をかけられない、という気持ちがあるという。

 

この活動をする前にそのお話を聞いたら、『そんな馬鹿な。彼らほど世間の目を気にしない人もいないだろう』と思っただろうが、実際に彼らと接触したことで、それは大いにあり得ると感じた。とても謙虚だ。

 

大丈夫ですか、と聞くと大丈夫だ、と答える。しかし、あまりに痩せているために、服の襟から簡単に肌がのぞける。胸元がガリガリで骨が浮き出ている。

 

だが、『具合が悪い、貧しい、助けてくれ』などと言う人は一人もいなかった。彼らの視線に合わせて膝を曲げた時、夜の闇はあまりにも大きく、行くあてのない孤独と不安が伝わって、悲しかった。

 

私はこのたった数時間の経験を通して、いくつもの大切なことを学んだ。

 

その一つとして、自分が正しいと信じてきた価値観に疑問を持ち始めた。自分がたまたま幸せな場所にいるからといって、不幸せな人を切り捨ててよいのか。自分の見える世界をきれいな物、豊かな物で固めてしまって、社会問題から目を背けていたのではないか、と。

 

また、今では存在が薄くなってしまっている日本の仏教に、このような動きがある事に気づいてとても頼もしく思った。

 

物質的な豊かさばかりを追い求めることには限界がきていると思う。そのつけが回ってきて、ホームレスの方の苦しみだとか、捨て置かれるものが生まれる。では、新しい時代で、私たちが求める豊かさとは何だろう。

 

それは様々な事柄が複雑に絡まった大変難しい問題だが、仏教など、心の在り方を教えてくれる物の中にその手がかりがあるように感じた。

 

今回は、仏教そのものには深く触れなかったが、今までのイメージとは違う仏教の一面を知ることができた。仏教についても、もっと知りたいと思った。

 

貴重な経験が出来てよかった。これからは、自分の事だけでなく、社会に携わる活動をもっとやりたいと思う。  

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