この度素敵なご縁を頂戴して、はじめて活動に参加させて頂きました。活動を通して様々な事を教えて頂き、皆様ありがとうございました。
15時からの怒涛のおにぎり作り、そして20時からの配布、どちらもはじめての経験でしたが、 ボランティアの方たちの優しさと、思いやり、そして強い気持ちを感じた一日でした。
正直、今まで「路上生活者」について考えたことがあまりありませんでした。
数年前に、とある施設で教育事業のお仕事をしていた時、近隣の子供たちを集めて、 隅田川沿いや、上野公園に連れ出して自然観察等をさせる事がありました。
その時は、沢山の路上生活者の存在に驚き、また、運営側のメンバーは皆、路上で生活する方たちをとてもセンシティブに捉えて企画内容や子供たちの行動範囲を決めていました。
上層部も含めて運営側にはどうしても「路上生活は未知=危険」という考え方があったのです。
人様のお子様を一同に集めて自由闊達に活動させる訳ですから、リスクヘッジとしては必要な事で、それはけして間違っている訳ではないと思います。
しかし、未知を危険と捉えて疑わなかった運営側は、やはり理解が足りなかったし、また理解しようともしてなかったと、今回の経験から強く感じました。
あえて路上生活者に関わるべきというのではないですが「相手の立場になって考えてみる、路上生活者の存在を理解する」ということも重要な事だったと今頃になって反省しました。
裕福な日本ではなかなか実感が湧きませんが、世界に目を向けてみると、弱体な政府などが原因で、貧富の格差が極端に生じている国が多くあります。
そこでは、グローバルに活動するNPOやNGO、慈善団体が、貧しい人たちに物資の提供などの支援を行っています。彼らの活動は、人の命を守る、絶対に不可欠で重要な活動です。
普通に暮らしている限りはそれほど気づかなくても、また原因はそれとは違っても、日本の国内だって貧富の格差はやっぱりあるところにはあって、それぞれの事情を抱えて、もがいている人がいます。その、もがきの中の一つが路上生活者なのかもしれません。
当たり前ですが、世界の貧しい人たちが好きで貧しくなった訳ではないように、多くの路上生活者は好きで路上生活をしている訳ではないのです。
そうして、路上生活に至った様々な経緯を知れば知るほど、その経緯は身近な内容が多く、いつ何時自分がそのような境遇に置かれるかも分からないなと思いました。
世界で色んな境遇の人間に対して、人間が支援をしていくように、日本でだって路上生活者に対しても、当たり前に同じ人間として対等に接して、必要ならば手を差しのべる事が必要です。
どういう支援が彼らにとって有益なものなのかは、残念ながら今の私にはまだ見出だせていません。
しかし、きっとそれはすぐに答えが見つかるようなものじゃないってことは何となく分かります。
今自分の中ではっきりしている事は、一人でも多くの方が路上を脱出して欲しいこと、そして、幸せになって欲しい事。
ひとさじの会の活動は、そんなもがく方たちの一筋の光になるんだな、と感じました。おにぎりは目的ではなく手段であり、言わば道しるべ。
これからも強い信念のもと、継続的な活動を期待します。そして、多くのボランティアさんを取り入れて、私のように出ない答えを悶々と考える人間を増やして欲しいとも思います(笑)
長く、そして拙い文章に最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。また、スケジュールが合う時は微力ながらお手伝いに伺いますので、よろしくお願いします。