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参加者の声(ボランティア)  ·  2018/08/06

◇大正大学教育人間学専門ゼミナール〈担当教員 坪井龍太先生〉の学生さんたち

●屋根の下で暮らせる幸せ(文:大正大学 おかちゃん)

私は今回のひとさじの会の活動が、生まれて初めてのボランティア活動だった。路上生活者との会話は初めてだった。

 

今まで路上生活者に対してよい印象はなかった。しかし、今回の活動を通して大きくイメージが変わった。それは、彼らも好きで路上生活をしているわけではなく、この生活から抜け出そうとしているということだ。

 

ある男性は、あと2か月で年金がもらえる年になるから、それまでの辛抱だと語っていた。また、持病があり何度か入院している男性もいた。彼らと話していて感じたのは、みな普通の人間で、自分の祖父と話しているように笑って話せることだった。私はそんな彼らが、したくもない路上生活を強いられているのかと感じ悲しくなった。

 

同時に、自分も路上生活をしなければいけない状況に、いつ同じように追い込まれるのかと考えると、決して他人事ではないと怖くなった。路上生活者の人たちが一日も早く屋根の下で寝ることができるために、今の私に何ができるのだろう。

 

●路上に映る「笑顔」の価値(文:大正大学 寺田森羅)

私は「ひとさじの会」で、路上生活者におにぎりを配る活動に参加した。この活動を通し、日本の貧困問題や、人権問題にじかに触れることができた。

 

今回私は、路上生活者が暗く「絶望」した顔をしていなかったことに気がついた。決して全員が明るい顔をしていたわけではないが、「生きること」を諦めていなかった。

 

死後身寄りのない路上生活者のためのお墓が作られたことを、光照院で知って心温まった。しかし社会では「ひとさじの会」の活動に反対の声も少なくないと聞いた。路上生活者支援も決して十分に普及していない。

 

吉水事務局長から「死」に触れた話も聞いた。人生の最後を、一人、路上で迎えてしまう人がいるという。我々の人権に対する認識は、間違っているのではないだろうか、と感じた。

 

今回、人権についてもっと多くの人が関心を持つことが、一人の命を救い、笑顔を支えることにほかならないと知ることができた。多くの人にこの感情を伝えたいと、強く思った。

 

●隅田川沿いの命(文:大正大学 がっちぇす)

ひとさじの会に参加し、路上生活者におにぎりを提供するボランティアを行った。私がこの活動をとおして、おにぎりを提供しながら交流し、日本の貧困問題について認識を深めるとともに、人権尊重の態度を培うことができた。私は隅田川沿いの路上支援者を担当することになった。

 

いざ始まってみると、緊張と羞恥心から積極的に活動することができなかったが、同じ隅田川沿いを担当していたベトナム人や日本人スタッフからアドバイスもらい、緊張しながらもおにぎりを提供することができた。正直、私は路上生活者のイメージはあまり良いものではなかった。

 

しかし、この活動を通して一人一人の命の大切さを感じることができた。同じ人間という平等な立場にもかかわらず、やむを得ない理由で路上生活を余儀なくされてしまう人がいることにもどかしさを感じた。

 

きょう、私が出会った路上生活の人々のためにも、ひとさじの会の存在を多くの人に認知してもらい、徹底した支援を行っていきたいと願う。

 

●外国人スタッフと私の交流(文:大正大学 S・Y)

8月6日、大正大学教育人間学科のゼミ活動の一環として、ひとさじの会に参加した。内容は、路上生活を行っている人に飲み物やおにぎり、日用品を、浅草や上野周辺に配布するものであった。正直、私の心の中には偏見があった。その思いを払拭するためにも、ボランティアに参加する決意をした。

 

午後3時から、路上生活者に配るためのおにぎり作りを手分けして行った。ベトナム人スタッフも協力してくれたので、手分けをして効率的に作業を行うことができた。午後8時から、各ブロックに分かれおにぎりなどの配布活動を行った。私のグループは、徒歩で山谷周辺を歩き、路上生活者に声掛けをした。

 

山谷地区は、ソープランドなど普段目にすることが無い施設が数多く建ち並んでいた。下町は、落ち着いた雰囲気が特徴的だと思っていたが、女性の私には、夜の下町は一変して少し怖さを感じたのが、率直な思いであった。

 

配布中には、ベトナム人スタッフとも交流を深めることができ、日本でボランティアをし始めたきっかけも語ってくれた。あるスタッフは、「ベトナムでもボランティアをしていて日本でも力になりたい」と言っており、とても意識が高いと感じた。

 

今回の活動で、路上生活者との交流ができたことに加え、外国人スタッフとの貴重な経験ができたことは、日本人として大きな達成感を得ることができた。

 

●国境なき恩情(文:大正大学 S・R)

ホームレスになるのは何故か。私は、今まで考えたことも無く、詳しく知ろうともしなかった。今回「ひとさじの会」に参加し、ホームレスとは何なのか。参加しながらゆっくり考えることにした。

 

「ひとさじの会」に参加する前は、働きもしないホームレスにあげる米や水は無駄だと考えていた。しかし、事務局やスタッフに話を聞いていると、虐待から逃れてきた人など、ホームレスにならざるをえない状態の人もいて、それは今まで知らないようなことばかりであった。

 

また、私は「ひとさじの会」に参加していたベトナム人に、なぜ、この活動に参加しているのかと訪ねた。ベトナム人たちは、「ベトナムにもホームレスはいる。私たちはそんな人たちを助けることができなったが、日本に滞在している以上、日本で助けを求める人がいるならば助けたい」と言った。

 

この言葉を聞いて、ボランティア精神に国境は関係ないのだと感じた。「ひとさじの会」は、人間と人間との繋がりを学べる貴重な経験ができるような活動だった。

 

●ひとさじの会の活動で感じたホームレスのこと(文:大正大学 福里輝)

ひとさじの会でホームレスにおにぎりを渡しにまわって感じたことは、ダンボールハウスの建築能力が高いということである。

 

ひとさじの会の人が「一件、一件まわっていく」と言っていたが、なぜ家がないのに「一件」という言葉を使うのだろう思った。

 

しかし実際に見ると確かにブルーシートがしっかりと張っていて、雨宿り程度のものではなく強雨強風がしっかりと防げる「家」であった。

 

また、かつて、あるホームレスの人が、新たにホームレスになった人が寒くないように布団をあげていたという。しかしその人が亡くなってしまって布団が配られなくなった。

 

そのためホームレスの人達が寒くないように、新しくホームレスになった人が自由に布団を持っていくことができるように「布団箱」が作られた。その箱にも葛飾北斎の波の絵が書かれていた。その絵もとてもうまかった。

 

最近ホームレスの人で火事を起こして亡くなった人がいた。そのため、その場所が封鎖されてしまった。これ以上、路上で死人が出ても困るという行政の考えかもしれないが、居場所が制限されるのはとてもかわいそうに思った。

 

今回の体験はとても勉強になることだらけであった。これ以降、私がこのようにホームレスの人と関わることはないが、今回の経験を自分の人生でしっかり活かしていきたいと思った。

 

●本当の「ありがとう」(文:大正大学 井上)

ひとさじの会の活動に参加してわたしの財産になったのは、この活動が命を救うことにつながっていることを感じることができたことである。なぜそう感じられたかというと、路上生活者から言われた「ありがとう」にある。

 

今まで生きてきて言われた「ありがとう」の中で、路上生活者に言われた「ありがとう」は最も心のこもった「ありがとう」であった。おにぎり一つがどれだけの救いになっているのか実感できる瞬間でもあった。

 

命の価値は平等で、貧困によって命がないがしろにされてはならないと感じた。またおにぎりを配布中の路上生活者の話で、東京五輪に向けて多くの場所で立ち退きを強いられている現状にも、貧困問題の深刻さを感じられた。

 

さらに日本の貧困問題に外国の方が積極的に参加している姿を見て、私自身が国際社会全体の貧困問題に対して、しっかりと考えなければならないと改めて感じた。

 

●路上生活者支援から学ぶ日本国憲法第25条(文:大正大学 匿名希望)

8月6日、私はひとさじの会が主催する路上生活者支援活動に参加した。この会に参加する以前の私の中での路上生活者の印象は、正直あまりいいものではなく、なぜわざわざそのような人たちに救いの手をさしのべる必要があるのかさえ分からなかった。

 

実際、会に参加している際も、作ったものを配り始める直前まではその考えが変わることはな

かった。

 

ところが、グループに分かれ、おにぎりの配布を続けていくうちに、私はあることに気づいた。それは、路上生活者は誰一人として通常の日常に戻ることを諦めていないということだ。

 

この支援を受け、社会復帰を果たした人も多くいるという話を聞き、私はある言葉を思い出した。

 

すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。これは日本国憲法第25条の条文の一部である。

 

普通の生活をしている方でも路上生活者であっても一人の国民であることには変わりなく、さらにその支援を皮切りに社会復帰を目指しているのであれば、少しでも早く復帰できるよう、私たちが支援するということは憲法上においては当たり前なのではないかと私は考えるようになった。

 

今後も都合が合う際には、ひとさじの会の活動に参加したいと考えている。

 

●偏見のその先に(文:大正大学 シュガー)

私は、ひとさじの会の活動に参加し、ホームレスの人と交流した。この活動に参加する前のホームレスのイメージは、家がなく、清潔感がなく、近寄りがたいといった、マイナスイメージばかりであった。

 

しかし、この活動と通して、そのイメージとは別の考えが生まれた。それは、ホームレスの人も私たちと同じ人間であるということだ。おにぎりや飲み物、衣服やタオルなどを渡すと、心から「ありがとう」という人もいた。

 

最も印象的だったのは、おにぎりを渡すと、すぐに食べ始めた方を見たときである。よほどお腹がすいていたのだろう。あれほど嬉しそうに300グラムのおにぎりを食べている姿を忘れることができない。その人をみて、今回の活動に参加して本当に良かったと思った。

 

私は、これまでホームレスの人と関わったことがなかったために、彼らに大きな偏見があった。しかし、実際に活動を通して関わってみると、理解できる部分も多くあり、何より「ありがとう」という言葉を純粋に言うことができる人たちだと強く思った。また参加したい。

 

●感謝に幸せあり(文:大正大学 Y・T)

高度経済成長から一転して、低成長の経済のなか、会社を解雇され、路上にでるものもおれば、自らの家庭環境に耐えられずに路上で生活を余儀なくされるものもいる。

 

路上生活者は、社会から除外されてしまうもので、まず話しかけられない。そのため、健康面において極めてリスクが高いといえる。

 

そうした中で今回のひとさじの会に参加してもっとも感じたのは、リスク面を軽減させるために提供する薬や衣服、食品といった生活必需品が必要以上に不足していたことだ。しかし、生活用品が全ての路上生活者に行き届かない中でも、私が交流した路上生活者すべては、私に感謝の言葉として「ありがとう」を伝えてくれた。

 

ひとさじの会に参加するまでは、路上生活者を偏見の目で見てきた自分がいたが、路上生活者と交流をし、感謝の言葉を聞き、人の役に立つという幸せを感じることができた。

 

世界的にも路上生活者は問題になっている。すべての人間には人権が必ずあり、それをどんな理由があるとしても侵害してはいけない。清らかな気持ちで手を差し伸べることで路上生活者だけでなく私自身も救われるような気持ちを知ることができた。機会があれば、ぜひ再び参加してみたいと強く思う。

 

※本日は213回目のひとさじの会の活動でした。

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